2009年4月 3日 (金)

いまこそ、テレビスポーツだ

ちょっと古い話になってしまったが、2月に行われたスーパーボウルのテレビ・コマーシャルの売り上げが2億6000万ドルをマークした。史上最高という。

アメリカを震源地とした昨秋以降の世界的な経済悪化。

さしものスーパーボウルも、昨年暮れ、コマーシャル枠に“売れ残り”があった。

アメリカの深刻さを物語るもので、フットボールでさえ、沈んだ空気を払いのけられないのか、と思わせた。ところが、一気に好転だ。

こうした状況のなかで、スポーツへの熱狂が、何よりも社会を晴れ晴れとさせる効果を持つことを、アメリカ人は知っている。ヨーロッパのサッカーも、同ようの“背景”を持つ。

正に、「この時代だからこそスポーツ」である。

春を間近にして、日本の社会とスポーツ界はどう動くか気になるが、「スポーツどころではない」といったムードに押し流されそうな気配が濃い。

現況を、スポーツの持つエネルギーで突破しようとするような迫力を、スポーツ界やスポーツ人はハナから捨ててしまっている。

企業のスポーツチームが撤退を明らかにすると「仕方がない」と“理解”を示し、スポンサーが去れば、打つ手もなくうしろ姿を見送る。

テレビスポーツの周辺も、いささか活気に欠ける。 

「WBC」で久々に沸いたベースボールも、ある球団関係者は「サッカー同よう、テレビ局は代表チームだけに関心を注ぐようになるのでは・・・」と警戒する。

たしかにそうだ。昨今のテレビスポーツは単体の“ナショナルブランド”に群がり、自らの視野を狭くしてしまっている。

「スポーツ」そのものの持つ巨大なブランド力を小さな視点の発信で抑えこんでしまうほど惜しいものはない。

「スポーツ」が低迷する社会の活路を切り開くなどと大そうなことを言わないまでも、いま「スポーツ」を送り出す意味は大きい。

スーパーボウルの魅力をあますことなく伝えたスタッフの気負い、それを支えた番組スポンサー、興奮に酔った人々。

やはり「この時代だからこそスポーツ」、テレビを通して、これまで以上にアピールしつづけるシーズンにしたい。

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2008年12月 3日 (水)

『オリンピック』にも有料テレビの風

国際オリンピック委員会(IOC)は、10月下旬、2014年ソチ冬季(ロシア)と16年夏季両オリンピックのイタリア国内放送権を同国の有料テレビ、スカイ・イタリアに与えることを決め、発表した。契約額は明らかにされていない。

スカイ・イタリアは、すでに今年2月、2010年バンクーバー冬季(カナダ)と12年ロンドンの放送権を得ている。

有料テレビ系との本契約をつとめて避けてきたIOC、それを良しとしてきた世界のテレビ界。いずれは崩れるにせよ、こうも早く、しかも綻(ほころ)びがテレビ界からのぞくとは考えにくかった。

予兆はあった。4年前の夏、10年と12年のパッケージを、ヨーロッパ放送連合(EBU)とIOCが合意(契約料は推定で8億4000万ドル)した時、EBUの獲得した放送権には「イタリアを除く」とのただし書が付いていたのだ。

EBUの主軸のひとつであり、伝統の公共放送、イタリア放送協会(RAI)が、EBU内での分担金額をめぐって折り合いがつかずIOCと個別交渉することを、EBUもIOCも了承していた。

私の知る限り、IOCとEBUの結びつきは揺ぎないものがあり、10年・12年パッケージでも、EBUの提示額を上廻るヨーロッパ圏内の有料テレビ勢が顔を見せながら、IOCは「多くの国でオリンピック放送が無料で保証される」とEBUを選んでいる。

そのつながりのなかで、RAIがEBUを支えられなかったのは、時の流れというよりも、新しい風の強さを印象づけるものだった。EBUの枠から離れたことで、イタリアのオリンピック放送がRAIによって手がけられる歴史も閉じられる。

テレビとオリンピックの本格的な出会いとなった1960年夏季ローマ大会のホストブロードキャスターの主力はRAIがつとめた。

衛星が打ち上げられていない当時、RAIの“作品”はビデオテープに収まり空輸されて日本に着いた。

新聞よりも遅い情報だったが、テープにはそれまで見たことのない“世界のスポーツ”が詰まっていた。

RAIのカメラワークにもうならされた思い出がある。そのRAIが、である。

14年・16年のパッケージは、今回の発表以外、世界テレビ界のいずれともIOCは合意の発表を行っていない。スカイ・イタリアは、トップを切って手を打ったのだ。EBUとともに旧態への“復元”を探っていたRAIがIOCに抗議したとの情報はあるが、EBUの動きは、まだ伝わってこない(11月14日現在)。

IOCは、大会期間中、地上波で最少でも200時間の無料放送を望み(冬季は100時間)、有料放送などへの制限は、かなり緩やかにしている。スカイ・イタリアはインターネット権、携帯電話への配信権も握っている。無料放送については、スカイ・イタリアの出方に注目が集まることになる。

金融危機に見舞われて、このあとのオリンピック放送権の展開は、予断を許さぬが、スカイ・イタリアを率いるのが、メディア王、ルパート・マードック氏だというのも、波乱を予想させるのに充分だ。

アメリカでは同氏のFOXが、IOCへの入札への“常連”となっているし、スカイ・イタリアの“成功”をスプリングボードにEBUとヨーロッパ圏の権利をわたり合うのでは、との“噂”も現実味をおびてきた。すでにいくつかの動きが伝えられてもいる。

IOCは、かねてからEBUやジャパンコンソーシアム(JC)と“一括契約”するよりも国別、個別に契約を結ぶことを求め、これまでにもさまざまな揺さぶりに似た策を仕掛けてきた。

北京オリンピックまで「韓国アソシエーション(KA)」でまとまってきた韓国テレビ界は、2年前に10年・12年パッケージをSBSインターナショナルが“単独”で取得し、14年・16年の契約交渉も第1優先権を持つ、とされる。

日本は、2016年の開催地に東京都が名乗りをあげ、来年10月に開かれるIOC総会の結果(投票)を待っている事情がからむ。

大きな変化は起るまいが、「オリンピック放送」がいつまでも同じ状況で進むとは、言い切れなくなった。

別の面でも、今回のなりゆきは興味深い。あらゆるスポーツを通じて有料テレビの視聴者(=契約者)の知識は深く、目は肥えている。サッカーにつづいてオリンピックも、そうしたムードに包まれる時代となるのだろうか。

スーパーイベントの制作にかけられるプロダクションの力への期待は、いっそうふくらむことになる。

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2008年8月 1日 (金)

新潮社『五輪ボイコット―幻のモスクワ、28年目の証言―』

新潮社『五輪ボイコット―幻のモスクワ、28年目の証言―』に、

杉山茂の証言が掲載されております。

http://www.shinchosha.co.jp/book/460003/

第4章 モスクワの教訓
【失】黒田善雄――ドーピング問題の第一人者が見たモスクワ五輪
【共】石川英夫――モスクワ五輪組織委員会との「商談」の中で
【商】杉山茂――五輪放送の転機
【継】岸本健――涙でファインダーが曇ったショット
 
 
<EXPRESS SPORTS>

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2008年7月30日 (水)

『国際信号の“競演” オリンピック』

オリンピックは、国際信号(インターナショナルシグナル、IS)の“展示会”だ。

オリンピックを迎える国(本来は都市)のテレビ局が、腕の揮いどころとばかりに燃えたのは、過去の話である。

スポーツ自体の高度化、視る側の熟成化で1国1局が、どう張り切ったところで、まかない切れない。

世界の各所から、得意の制作力を持ち寄って、となるのは、極めて自然な道理といえた。

古すぎる例だが、44年前の東京オリンピックにおけるNHKの昂(たかぶ)りは、時に異常と思えるほどのものだった。

ほぼ一線でスタートした日本のテレビ界、大連合を組んで、このスーパーイベントに当たればいいものにと、その渦に巻きこまれながら、かけ出しディレクターの私は、思ったものだ。

はたして、その4年後のメキシコオリンピックは、メキシコ放送界が、あっさりヨーロッパやアメリカやNHKにサポートを頼んで世界向けの仕事をやってのけた。

そうだろう。その時代ですでにテレビスポーツの受け手側の多様さは、1局の“陶酔”で満足させられるものではなかったのである。

ヨーロッパ放送連合(EBU)を主軸に、そのあと、オリンピックをはじめ総合競技大会は、各国各局のエネルギーを集めてISを制作するのが常識になった。

もともと国土を接しあうヨーロッパは、テレビ界もホーム・アンド・アウェイを組み易い。

国際試合(大会)のたびに、自前の中継クルーを送りこむより、相手側の制作を受ければ効率的だ。

当初は、地元に傾斜していた映像も、しだいに洗練され、ISの基盤が固まったとされる。

根本に流れる姿勢は「サービス」である。いかに、自国のエリア外の受け手に満足してもらえるか。ホストブロードキャスターのこれは揺ぎない精神ともなる。

つきまとう課題も、実は少なくない。とりわけ「ISの中立・公平」は悩ましい。

ロサンゼルス・オリンピック(84年)で初採用された女子マラソンで、1人の選手がゴール前2kmほどの地点から意識を失ったかのような状態となった。

ISは、その壮烈ともいえる姿を追い続けた。この間に何人ものランナーがフィニッシュしたが、そのシーンはライブでは送りこまれなかった。

よろめきながらゴールを目指す姿に優る情報はない、これがオリンピック、との判断であった。

深追いにまったく批判がなかったわけではないが、「IS史」というものがあるならば、ホストブロードキャスターの傑出したケースの1つとして指折られるのではないだろうか。

スタッフはレース後、スキップされたゴール場面をテープ再送した。この備えも、ISの信頼につながる。サービスは二重三重にしてこそなのだ。

間近に迫った北京オリンピック。エキスプレススポーツも一翼を担う柔道、テコンドー、体操、新体操、トランポリンをはじめ28競技、302種目に世界のテレビ局、プロダクションの高い専門性で、そのスポーツの真髄に迫る。

中国のテレビ局は“国技”バスケットボールのほか、バレーボール、バドミントン、卓球のネット型スポーツ

を中心に担当するほかはこれまでのワールド路線を踏んでいる。

開閉会式はYLE(フィンランド)が受け持つというが、中国はISとは離れ、独自の規模で国内での発揚を試みるものなのか。

“展示会”への興味は、競技以上のものがある。

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2008年5月 5日 (月)

「テレビスポーツ時代」の先導 今のプロダクションがめざすもの

テレビ機材の発達は、そのたびにスポーツ中継の厚味を増し、新たな楽しさを伝えることにもなった。
フィールド、ピッチ、アリーナ。
競技場で展開される総てのアクションをほぼ確実に映像として収め、送り出せる時代だ。

例えば、録画再生の演出は近年、目をみはるばかりに進んでいる。
ヒーロー、ヒロインの姿と同時に織り成される様々な競技者たちの表情を即時に現場観戦とは異なる興奮で作り出す。

知らず知らずのうちに、見る側の「視点」を多角度へ誘いこむ。
機材の開発はまだまだ続きそうだ。

スポーツ中継は、いっそう多彩になりそれぞれの醍醐味へ迫れる。
その熱狂の演出は制作者の感覚にかかる。
多様な一瞬の風景の中から最善の映像を選択する。
スポーツ中継担当者の冥利とも言えるが、
深い知識、高い専門性、豊かな経験が備わらなければ見る側をけして満足はさせられない。
プロダクション(制作会社)の目指す姿勢は、そこにある。

スポーツ中継に特化したプロデューサー、ディレクター、エンジニア(カメラパーソンを含むテクニカルスタッフ)。

アメリカのフットボール、カナダのアイスホッケー、ヨーロッパのサッカー、北欧のスキー競技などでは圧倒的な力を誇る制作集団が腕を磨き、最高の“テレビスポーツ”を送り出している。
彼(彼女)らは、そのスポーツを知りつくし、愛しむ。

世界でも最も愛好者の多いサッカーは、国際サッカー連盟(FIFA)がワールドカップを専門に
中継制作するプロダクションをインハウス(組織内)に抱えている。
最高の舞台は、最高の感覚によってこそ“表現”される、という姿勢だ。さすがサッカー、見事である。

テレビ局にとって、スポーツがキラーコンテンツであればあるほど、求められる制作力は高くなる。
私が今、籍を置いている「エキスプレススポーツ」はそれに応えられるプロダクションを全スタッフ共通の目標として揚げ歩みたい。
中継制作にとどまらず、テレビスポーツに関わる総てのマネジメントを手がけ、「スポーツの時代」の先導を果たす。


それはプロダクションにして初めてできる新たな挑戦でもあろう。

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